2013年3月3日日曜日

「一生懸命営業中!」(12月22日)

◆釜石市・はまなす商店街・小笠原辰雄さん

 

山田さんに,商店街のお店に連れて行ってもらいました.突然の訪問にもかかわらず,店を出している方々がそれ ぞれに集まってくれ,突然のヒアリングが始まりました.小笠原さんのパン屋「あんでるせん」で販売する『釜石バーガー』は人気商品で,午 前中のうちに売れてしまうそうです.

https://sites.google.com/site/andersenkamaishi/

http://ameblo.jp/mcd-2011/entry-11405250704.html

http://www.asahi.com/food/news/TKY201210290228.html

http://kamaishi-town.com/archives/6176757.html

以下は店長の小笠原さんの言葉です.

 

「堤防ありきの街づくりだけど,堤防だけでは災害は防げない」,「この地で頑張る,今日は今日,明日は明日で 精一杯」,「ふるさとはいい」,「気持ちの逃げ場所がふるさと」,「声を掛けあえる関係」,「絆がある」

そして,震災後,息子さん夫婦が帰ってきたのだそうです.

お話を伺って,こちらが励まされ,力をいただきました.

あ りがとうございました.








「住んでみたい,寄ってみたい町をつくる」(12月21日)

宮古氏田老地区・田老地区復興まちづくり協議会会長,小向源一郎さん


小向さんはまちづくり協議会の会長さんです.住民主体の協議会は,岩手県ではここと大槌町だけ.田老でも発災 後,市が主導する協議会がありましたが,細部についての議論は不十分でそのために,住民主体で再度協議会を設置したそうです.

 

会では,いろいろな住民調査をされていて,問題は高台移転を希望する人が時間の経つほどに減ってきて,地区外 に出ていく人が増えていることです.このままだと高台には,高齢者だけが住むようになってしまうのではないかと心配されていました.若者 が住んでみたい,また地区外の人が寄ってみたい町,交流人口を増やすにはどうしたらいいのか?を日々考えているのだそうです.

 

参考URLです.後者の記事では,高台移転の問題がまとめられています.

http://yaplog.jp/kirinuki/archive/19

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000841211140003


2013年2月12日火曜日

「復旧に公平が求められる?!」宮古市田老総合事務所元所長・上屋敷正明さん(12月21日)

震災当時,田老総合事務所長をされていて,発災直後から陣頭指揮を取られていた方が,上屋敷さんです.情報が全くない中で,被災者のことを考え,どんどんと判断をして進めていたそうです.やがて本庁とのやりとりができるようになると,田老地区の復旧がほかの地区よりも進んでいることがわかってきた.

そうなると,田老地区は他の地区と足並みを揃える"公平"であることが求められたとか.詳細には聞けませんでしたが,こんなところにも"公平"があるのかと,なんだか変だなと,私は思いました.

参考までに,下記のURLに震災前の上屋敷さんの記事があります.うーん示唆に富んでいますが,感想はとても複雑です.是非,一読を!
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/book/monthly/0005/html/t03.htm
「住民の意識の風化が進み、津波避難訓練への参加者も年々少なくなってきている。・・・「津波田老」とまで呼ばれた町の歴史と、ありがたくない異名を返上できるよう、「防災のまち田老」と呼ばれるようなまちづくりを進めていきたいと思っている。」

「復興は全く新しいまちづくり」宮古市田老地区・田老復興まちづく協議会副会長・前川邦夫さん(12月21日)

まちづくり協議会・副会長の前川さん(ガス屋,水道工事会社経営)に話を伺いました.地区の全員が安全な高台移転という意向ではないらしい.元住んでいた所の付近を嵩上げして住むことを選ぶ方がいるのだ.前者が300世帯,後者が100世帯ほどあるという.前者にしても,実際に家を建てる,住む方はもっと減少して,この地区から出ていく方も多くなるだろうという.

人口減,特に若者の流出を抑え,町が持続的に発展するためには職が必要.そう考えて,前川さんはガス屋,水道工事を生業に,若手(20歳代〜40歳代)の仲間と共にここに残って頑張っている.そんな仲間との議論の始まりは,「なぜ,この町に残る?」ということで,その答えは,「田老の人が好きだから」だったそうです.その後も議論は深夜に及ぶことも珍しくなく,特に若い人の意見を粘り強く聞くことが大切なんだそうです.

最近では,「商店街をどこに置くのか?」という問題で大議論されていたそうです.住民相手だけでは,商売の規模も限られている.地区外から多くの人が来てもらう必要があるので,高台の中に店を置いてしまうのは問題があるのだろう.住民,特に高齢者にとっては,なるべく近くに商店があって欲しいが,町の発展を考えるとそうもいかない.多分,地域外のお客さんには店舗を,地域向けには出前で対応されるのだろうと思いました.

復興というのを,「震災前の状態に町を戻す」というように考えるのは間違い.嵩上げしてそこに住みたいという方は,"以前のままでいられる"という非現実的な『夢』を持たれているのだろう.しかし,現実には大きく違った生活になるに違いない.田老の堤防,町並みも大きく変わり,全く新しくまちをつくるというように考え,そこに現実的な『夢』を持たないと復興は成し遂げられないのだろうと,私は思いました.

こんな書き込みを見つけましたので紹介します.
http://tohoku-ganko1962.bbs.fc2.com/
「もう夢を語り合う時じゃない。早く復興を進めなきゃ」

「安全→安心→油断の問題はとっても深刻」宮古市鍬ケ崎地区・元宮古市職員・吉水誠さん(12月21日)

元宮古市職員の吉水誠さんに改めて田老地区周辺をご案内いただいた.
その中で驚いたのが,田老地区の南に位置する鍬ケ崎地区での話です.

ここは,防潮堤などの津波防災施設のない地域だが住民が自ら津波を学び,避難の問題・課題を考えて避難行動に移すことができるような自主防災力の向上に日々励んでいたという.その結果,今回の津波では住民110人のうち避難により109人が助かったという.
一方の田老地区では,世界最高レベルの防潮堤を整備していたが,人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出した.

整備する時は,安全度を高めることが目的で,必ずしも万全の備えでは無いのは承知のはずなのに,「安全」が「安心」に,さらに「油断」につながった.過度な安心が油断にならないように気を付けないといけないが,誰がそれをチェックしていくのか?自主防災というけれどこの問題は根が深くて,社会の中でもっと議論が必要だと思いました.
なお,今年度の「ぼうさい甲子園」グランプリに当地区の鍬ケ崎小学校が選ばれたと先日,報道されていました.また後日,聞いた話では,平成22年度に鍬ケ崎小学生作成した「津波防災避難マップ」は,地域住民に配る直前に東日本大震災が発生したそうですが,その活動を通して避難することを学んだんだと思います.

以上のことを紹介する記事がありました.
http://blogs.yahoo.co.jp/kishouzyouhou/folder/132331.html

しかし,その一方で,その復興は面倒なことになっているようです.復興では防潮堤を整備すること,その時の今次津波高さは,新防潮堤より10cm低いので高台移転事業は不可ということだそうです.高台移転を希望する住民も多いとのことです.その後もウォッチしたいと思います.
http://blog.goo.ne.jp/traum2011/e/c961a4dacca541ef6dd2f8a7bdeabff3

第4回東北・被災地視察 報告

この度,4回目となる東北,震災地視察に,博士後期課程の井若君と行ってきましたので,以下にその報告をいたします.
この視察にあたっては,岩手大学の柳川先生には,盛岡市から宮古市までを車で運んでいただきました.またその他にも,ご多忙にもかかわらず,多くの方々に調査にご協力いただきました.この場を借りて,熱く御礼を申し上げます.ありがとうございました.

2013年1月27日日曜日

平成24年度 康楽賞 頂きました!

皆さまのおかげです....

ありがとうございます.

もらったからには,より一層頑張らなければ・・・・・.